【活動レポート】 育休、いいとも!第二期vol. 2「都内区役所勤務から熊本・阿蘇のまちづくり会社へ?!」
こんにちは。
初めてレポートを担当します、こえりんです。
今回の「育休、いいとも!」では、株式会社SMO南小国にお勤めされている安部千尋さんをゲストにお迎えしました。
★育休、いいとも!とは・・・
育休をユニークに過ごした人や、育休で人生を変えた人をゲストに迎えて、オンラインでお話をお伺いする会です。
安部さんは世間的に「絶対安定」と言われている公務員(東京都の区役所職員)という立場から、縁もゆかりもない熊本県の南小国町という人口4,000人の小さな町のまちづくり会社の事業部長という華麗なる転身を果たしています。
実は私、子どもの教育的観点(自然豊かなところで子育てしたい)や、人が多いところが苦手という自分の特性も相まって地方移住に興味津々!
しかし、どうやって生活していくのか、親は反対しないのか、など、考えただけで不安要素はたくさん…
果たして安部さんはそういったところをどのようにしてクリアしていったのでしょうか…?
インタビュー形式でお届けしていきます。
【ゲスト紹介】
安部 千尋さん
一児の母。生まれも育ちも東京。株式会社SMO南小国未来づくり事業部長。
大学卒業後、半年間NPOでフルタイムインターンとして起業支援に従事。インターン終了後、区役所勤務を経て、起業支援の団体へ転職。この団体で福島の起業支援を担当したことから、地域での起業について知見が溜まる。その後、縁あって熊本県・南小国町と出会い、2019年4月に家族で南小国町に移住し、現職。
■そもそも生まれも育ちも東京なのに、なぜ移住先に南小国町を選んだの?
前職の時にプロボノレベルではあるものの、南小国町の仕事を引き受けたことがきっかけです。
もともと南小国町は東京の企業やクリエイターと関わるプロジェクトをいくつも並行して実施しており、それらに横ぐしをさしたいというニーズがあったので、その役割を引き受けました。
その時に、南小国町の方と関わることで、南小国町に移住するイメージが湧きました。
■熊本県 南小国町はどんなところ?
九州の熊本と大分の県境ある町です。羽田から飛行機で1時間半、車で2時間の比較的交通の便も良い場所です。人口は4,000人と少ないところですが、町の未来について主体的に考えている人が多く、先日行った町議選の投票率はなんと83%!しかもこれで低かったと言っているほどです。
また、人材の宝庫でもあります!私がプロボノでイベントを企画した時も、どこの者かわからない東京モンの私が出した企画書を、2日で町長に見せて後援してくれました。とにかく自然体でチャレンジするすごい人が多くて面白いです!
最近では新しくコワーキングスペースも出来て、南小国町で仕事をする環境も整いつつあります。
■実際に南小国町に移住してみてどうだった?
虫がダメな人は向いていないかもしれません。
南小国町にはなかなか賃貸の物件がなく、築70年の物件をリフォームしてもらって住んでいるのですが、戸が閉まらなくて半分屋外じゃん!という場所もあり、もはや自然に住まわせてもらっているという感じ(笑)。
あと、冬はめちゃくちゃ寒いです。―10度になったりします。
それから子どもの数が少ないので、小児科が少ない点は今後改善が必要な部分だと思っています。
また、車が運転できないと本当に生活ができません!私はあまり運転が得意ではないので練習しています。
■なぜ安定の公務員を捨てたの?
安定…確かに公務員は福利厚生など、制度はしっかりしています。
しかし、今後私たちが働いていく中で、今より退職金も年金も出ないという状態になることは人事部で働いていたということもあり、明らかだったので、「今”安定”と言われている状態は、果たして本当に安定なのだろうか?」という疑問が出てきていました。
公務員を続けていく限り、やりたい事をやるには我慢が必要であったし、組織の中で昇進していける感覚もなかったです。つまり、自分自身で自分は組織が欲しい人材ではないという感覚があって、所属しているだけで摩耗していく毎日でした。
その時に、この充実した福利厚生は、”何十年も同じ環境であるという”ことと引き換えに与えられたものなのだということに気づきました。
また、公務員を続けていく上で欠かせない窓口業務を担当した時に、本当に向いていないことがわかりました。体に拒否反応が出てしまい(笑)、体調を崩して有給をたくさん使うことになりました。
ただ、子供がいるからなかなか辞めることの踏ん切りがつきづらかったのは確かです。
夫からも軸を決めずにフワッと転職すると後悔するとも言われたので、外部のコーチングサービスなども使い、自分と徹底的に向き合い、悩み抜いて納得感を得てから転職をしました。
■キャリアを変える時に意識していることは?
2つあります。
一つは、生活がきちんとしていけるのかという点。
南小国町に来る時も、収入が下がっても、生活コストも下がるからなんとか生きていけるな、という当たりをつけられたからこそ移住に踏み切れました。
もう一つは、自分のやりたいことが達成できるのか、という点。
自分に向き合わないまま環境だけ変えても、同じ壁にぶつかります。また、私自身、考えずに行動した後で「置かれた場所で咲く」というタイプではなく、あらかじめ自分を納得させてからでないと行動ができないタイプなので、そこをしっかり考え抜くことは自分の性格からするととても大切な部分でした。
■家族をどう巻き込んだ?
実は南小国町への移住はいきなり降って湧いた話ではなかったのです。
私も夫も、あまり人が多いのが得意ではなく、「オリンピックの時には東京にいたくないね」という共通価値観がありました(笑)。
また、南小国町は夫の故郷の大分県に近く、夫の方から「こんな面白い地域があるよ」と南小国町を紹介してもらったという経緯もあり、比較的スムーズに移住が決まりました。
移住が決まってから夫は東京の仕事を週3日リモートで行なっています。南小国町での仕事もつくろうとしているところです。
息子は元々空気を読む子どもであったこともあり、前々から新しい保育園に引っ越すよということを話していたこともあって、反対はありませんでした。けれども、これは親のエゴかもしれない…と悩みました。南小国町で通い始めた保育園の行事で「パプリカ」を楽しそうに歌って踊る息子を見て泣いてしまったのは秘密です(笑)。
そんな息子の姿を見て、息子が将来「ここに居て良かった」と言える町を作ることが自分の役目だな、という思いが強くなりましたね。
南小国町自体は少子化ということもあるのか、子どもファーストな雰囲気があります。邪険にされたことは一度もありません。保育園の園庭も東京で通っていた保育園の3倍くらいあり、園庭だけではなく、保育園の隣にあるレンゲ畑にも入らせてもらうなど、楽しそうにしています。
■今の仕事に満足していますか?
まだまだやれていないことも多いですが、すごく楽しいです!
前職では地域での起業支援を東京からしていたのですが、「現場に入ってやっていきたい」という気持ちが強くありましたので、それは叶っているなと思います。
あと、私は「挑戦している人がより早く遠くに飛ぶためのお手伝いをしていきたい」と思っており、それが自分のキャリアの軸です。それができている今は、本当に楽しいです。
ただ、色々やってみないとここまでわからなかったとも思います。色々やったからこそ、やりたいことが言語化できたなという感覚があります。
〜質問コーナー〜
Q. 南小国町にはこれから移住者を増やしたいという思いはあるのでしょうか?
A. 半分YESです。
南小国町だけでなく、いろんなところが移住者を増やしたいと思っていますが、移住者にとっても、地域にとっても、マッチしていないとお互い不幸になるばかりです。
南小国町では移住を含めた起業を希望する方に2泊3日で事前にシミュレーションするプログラムをはじめました。このようなプログラムを活用していくことで、地域と移住希望者のお互いのミスマッチを減らしていこうとしています。
Q. 南小国町は人口4000人ほどの町ということで、いわゆる「村社会」というイメージがあります。そこに入っていくのにハードルはあったのでしょうか?
A. 私自身はいきなり移住をしたわけではなく、まずプロボノで関わり、次に役場や地域の方に話を聞いていき、そこでさらに色々な方を紹介いただいて、最終的に移住を決めた、というように段階を踏んでいったので、特にそこに関してハードルを感じませんでした。
ただ、南小国町が元々宿場町で、観光地でもあり、外部の方が訪れていたため、外からの文化を受け入れやすい町であったという背景もあるかもしれません。また、地域おこし協力隊の制度がなじんでいて、移住に対してウェルカムだったことも大きいと思います。
ただ、どこの町もその土地の文化や風習を「教えてください!」というスタンスでいくことが大切なのではないかと思います。また、子連れで移住をするという事を伝えると移住への本気度が伝わるので、そこは子連れ移住のメリットかもしれません。
Q. 移住について家族に反対はされなかったのでしょうか?
A. 夫の親には反対されませんでした。夫の実家が大分県ということもあり、なんなら「子どもをうちに預けて働きに行っておいで」とも言ってくれました。
一方で、私の実の親はめちゃくちゃ反対していました。(笑)
母は「いい大学を出て東京に行っていい会社に勤めることが成功!」という価値観で育ったため、未だに私の選択について納得してくれているわけではないのだろうなと思います。
けれども、母はずっと働いていたこともあり、私自身が働き続けることには賛成はしていました。反対の理由も「地方に仕事があるのか?」という点であったため、その点は心配がないことをきちんとプレゼンすることで親の不安を少しずつ取り除いていきました。また、「LIFE SHIFT」を読んでもらって人生100年時代の考え方を説明したところ、完全に理解はしてもらえてはいないものの、最終的には「私たちの決断だから」と応援をしてくれるようになってくれました。
一番大切なのは「お父さんとお母さんのことを大切に思っています」ということを伝えることだと思います。私はこの点を意識して「東京に年に数回出張に行くこと=もう会えないわけではない(笑)」を強く伝えたりしていました。
Q. どのように移住先を見つければいいですか?
A. 今は移住希望者と移住先を結びつけるコーディネータ的な役割をしている人や団体があるのでまずは会いに行ってみるのはいかがでしょうか。
あとは、一口に田舎といっても、スーパーやコンビニが徒歩圏内にある土地もあれば、自給自足が前提になるサバイバル的な土地もある。人口規模や町全体の環境についてグラデーションがあるので、色々な人と話したり、週末移住体験や移住フェアなどに参加することで、自分たちがどんな環境に住みたいかを決めていくのが良いと思います。
■みなさんに一言
移住も転職も、自分が幸せになるための手段。
今いる場所や条件にとらわれず、フラットに色々なことを見ることで可能性が広がるのではないかと思います。
お互いがんばりましょうー!
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「なんだかここは私の居場所ではない」と感じている時って、「あの部長がいなければ」「この会社でなければ」など、周りの環境のせいにしがちなのですが、本当の原因は自分の中にあるのですよね。安部さんは、このことにいち早く気づき、自分と散々向き合った上で本当に自分が幸せになるために道を選んだ方なのだなということがビシバシと伝わった今回の育休いいとも!でした。
育休中は会社と離れられる時間でもあるので、自分と向き合うとても良い期間だと思っています。この機会にもっとしっかりと自分と向き合うことで、変化をすることを恐れずに、自分の道を突き進んでいきたいと思いました。
地方移住を検討している私は、まずは虫嫌いを克服することから始めたいと思います…(笑)
安部さん、ありがとうございました!
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